ご存知の方もおられるかと思うが、ぼくはいわゆる身体障害者(※1)である。それもわりと重い方である。このエッセイは、障害者福祉をテーマにしているわけでもないので、書く必要もないかなと思っていたが、ときどきは書いてみようと思う。
そもそも、障害者ってなんだろう。障害者と健常者の違いってなんだろうと思っている人もいるだろう。それには、大きく分けて2つの考え方がある。
1つは、手帳を持っている人は障害者という考え方。日本には身体障害者手帳(身体障害)、療育手帳(知的障害)、精神障害者保健福祉手帳(精神障害)(※2)というものがある。そのうちのどれか1つでも持っている人は、障害者という考え方。
手帳をもらうには、役所に書類を出したり、病院でお医者さんに診断書を書いてもらわないといけない。それで例えば病院に行くと、お医者さんはいろんな検査をしたりして、「あなたの足にマヒがあるから、生活の中でいろんな困ってることが起きているんですね」と診断する。
お医者さんが、「あなたの足が悪いから困ってるんだよ」と言うので、これを「医学モデル」と言う。
障害は、個人に原因があると考えるので、「個人モデル」とも言う。ここまでが1つ目の「障害者ってなんだ?」の答え。
そして2つ目は、誰だか知らないけれど、その医学モデルにツッコミを入れた人がいる。
同じ足にマヒがある人でも、住んでる場所や環境によって困ってることや度合いが違うんじゃね?と。
極端な例で言うと、貧しい国の田舎に住むAさんとバリアフリーが進んだ国の都市に住むBさんがいたとする。2人には全く同じ足のマヒがあるのだけれど、困ってることだったり困ってる度合いは大きく違うはずだ。
極端な例でなくても、お店の前に段差があったとする。そこにスロープがある場合とそうでない場合とでは、車いすを使ってる人からしたらお店にスムーズに入れるか、あきらめるか。変わってくるはずだ。
つまり、障害は社会に原因があると考えるので、これを「社会モデル」と言う。
ハード面だけでなくて、ソフト面、その社会の人々の障害者に対する目(50年前と今とでは障害者に対する人々の目は違うだろう)も含めての社会モデルである。
以上、普段、障害者に全く接したことがないような人にも分かりやすく、かいつまんで書いたつもりだが伝わったかどうかは分からない。
【元記事:B-Search NEWS No.1312】
──