第31回「合うコミュニティ、合わないコミュニティ」

3人以上集まれば、それはコミュニティと言われるものになるらしい。一番身近なところ、最初に体験するコミュニティは、「家族」ということになるだろう。

人間は、多かれ少なかれ誰かとつながっていないと生きていけない。属するコミュニティは、出来るだけ多い方が良いとされる。

例えば自分が属しているのが1つのコミュニティだけだとすると、そのコミュニティが崩壊したり、上手くいかなかったりすると他に逃げ場がなく絶望的な気持ちになるからだ。

そういった面から考えると、特に社会的弱者と言われる人は複数のコミュニティとつながっておいた方が良いような気もする。

以前、自分にとって違和感のあるコミュニティに参加していたことがある。違和感はあったけど、大きなトラブルもなく何年かして解散になった。解散するときにその中のある人から言われたのが、始めは生意気な奴だと思っていたということだった。今はどう思っているのかは分からなかったが、違和感の正体はこれだったのかと妙に納得してしまった。そう言われても、生意気な発言や行動をした記憶は全くなかったのだが。

ぼくが、このコミュニティしか参加していなかったとしたら村八分にあったような気持ちになるだろう。

しかしそうではなかったし、ぼくを生意気だと思っていない人やコミュニティもあるので、まぁいいやで終わった。

ちなみに、つながりは必要だが強くつながる必要はない。

社会心理学では、解き放つことこそが、つながりを生むと言われている。その「つながり」は、弱いかもしれない。しかし、強く結ばれた鎖は逆効果になる。固くつながれると、遠くへ行きたくなるものである。

【元記事:B-Search NEWS No.1340】