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齋藤孝さんの著書3冊目。
書店でパラリと読んでみて、これはなにかしら発見できそうだと思い購入した。
読んでみて正解!
かなり面白かった。
この本で語られている基本は、人間は「精神」「身体」「心」
この3つを柱に生きている。
ことに現代人は「精神」「身体」が脆弱化しているため「心」のみがかなり肥大してしまって、気分の上がり下がりにすぐ左右されたり、心の病などで年間3万人もの人が自らの命をたっている。
齋藤さんはこの事態を防ぐためには、残りの「精神」「身体」を鍛える必要があるといい、古典を読むことだとか、名文を素読すること、運動などを推奨している。
実に単純なことである。
単純なことであるのに、読書すらしていない人はかなり多いだろうと思う。
私はこの本を読む前に、自分の昔の読書ノートを読み返すことがあって、荒川洋治さんの『本を読む前に』から抜き出した一部分が、『日本人の心は
~』を読みながらずっと頭に浮かんでいた。
その一文は
***
「無意味や単純が提供する余白は、恐らく、逆説的な意味でオアシスになる。」
だが、「そうだとしても、同じ文筆を業とする者として、私は、この人(相田みつを)の存在がどうしても神経にさわる」として、こう続ける。
〈ベストセラーというのは、普段、本を読まない連中が買うからこそ発生する現象で、ある程度以上の内実を備えた書き物は、仲間に入れてもらえないのか?
『失楽園』だとか『にんげんだもの』(注・相田みつをの本)だとかいったベタな上にもベタな、まるっきりのポルノグラフィーか田舎色紙のレベルに降りていかないと、世間の人々には読んでもらえないのか?〉
〈ベタな詩にたやすく感動することができるタイプの精神の持ち主は、一方で、恐ろしく鈍感であるはずなのだ。〉
全国の相田みつをファンには厳しいみかたかもしれないが、本を読まない人がふえたために、まっとうな本が陳腐な「詩」に席を譲らざるをえないのだとしたら、現代日本人の精神構造の問題であり、どうするのか考えなくてはならない。
***
というものである。
確かにかなり辛口な意見ではあるが、私個人は賛成だ。
TwitterやFacebookをやっていると、よく相田みつをのような詩や、「心を揺さぶる話」などといったものが回ってくることがある。
そのたくさんの人がナイスした「感動する話」というものだったりを読んでも、何も心にくるものがない。
むしろ「なんとチープな言葉だろうか」と驚きもする。
そこに書かれているお涙頂戴もの数行を読んだだけで、精神の滋養になるだろうか?
まれに救われる人がいるかもしれない。
しかし例えば、自分の子どもを戦争によって奪われた人の人生だったり、犯されて志半ばで殺された魔法使いの女の話だったり、人種の問題で国から捕らえられ、乱暴を繰り返されながも独房のなかで懸命に生きた人の壮絶な運命だったり、そういう話を、時間をかけて読んでから得た感動というものは、本当にはかりしれない。
読書は、本を読むことで自分自身も実際にそれを体験しているかのように脳が錯覚するらしい。
それはたった数行の「心をゆさぶる話」どころではないのだ。
自分の人生観をも変えてしまう、この体験には到底かなわない。
同じ文章だというのに。
荒川さんがいうところの、そのようなものに簡単に感動できる精神を持った日本人はものすごく多いのだろうし、齋藤さんがいう、その精神の矮小さは読書率の低下もあるのだという、このことは大いに考えさせられた。