ごあいさつ
東京にあこがれて、文学にあこがれて、文学をテーマに東京の街歩きをしてみたいと思ったのがきっかけで、いつしか夏目漱石にはまってしまいました。
2016年の漱石没後100年、2017年の漱石生誕150年。節目の年を過ぎようという今、次の節目の年にむかって、漱石を引き継いでゆきたいと、勝手に「漱石文学館」を開館しました。この文学館が、漱石を知り、語り合う場になれば嬉しいです。
2017年10月
勝手に漱石文学館
館長 北野豊
今日のつぶやき
◆「秘書のつぶやき」を更新しました。
◆「館長の部屋」に、私が「生種実父説」を主張する理由――犀星の実父をめぐって《前編》《後編》を掲載しています。(「ブログ」にも掲載しました。カテゴリーは「館長の部屋」)
◆「館長の部屋」に「文豪と浅草」の連載を開始しました。
◆「21世紀の木曜会」に「七尾線」を掲載しました。「北陸新幹線~敦賀延伸に寄せて」「『ゆれる灯』の先に」、「輪島朝市」も引き続き掲載しています。
◆「ブログ」では「福音館書店創立70周年」がよく読まれています(カテゴリー:金沢ブログ、2022年11月)。
◆「ブログ」に「北陸新幹線~敦賀延伸に寄せて」を掲載しました(カテゴリー:金沢ブログ)。「21世紀の木曜会」にも掲載。
◆「ブログ」に「文豪と銀座」を連載しています(カテゴリー:館長の部屋)。
◆「ブログ」に「ゆれる灯」(小説)、「『ゆれる灯』の先に」を掲載しました(カテゴリー:金沢ブログ)。
◆「ブログ」に「輪島点描①」「ふるさとを詠める詩~能登編」「二つの大橋の100年」「泉鏡花文学賞」「卯辰山」「輪島朝市」を掲載しています(カテゴリー:金沢ブログ)。「卯辰山」では、金沢に大きな地震をもたらす可能性がある「森本-富樫断層」にも言及しました。
◆「館長の部屋」に掲載していた「文豪と隅田川」、「ふるさとを襲った大きな地震」(現在「追加12」まで)は、一括して「ブログ」に掲載しました(カテゴリー:金沢ブログ)。その他、過去に掲載した文章は「ブログ」に掲載しています。「総合案内」や「検索」によって探してお読みください。例えば、「地震」と入れて検索すると、「文豪と関東大震災」「ふるさとを襲った大きな地震」など、たくさん出てきます。役立つ情報もあると思います。

【秘書のつぶやき】

秘書の北澤みずきです。
乾淑子著『着物になった〈戦争〉』(吉川弘文館)を読みました。「時代が求めた戦争柄」という副題がついています。日清戦争から太平洋戦争開戦まで戦争柄の着物が盛んにつくられていたのだそうです。ほとんど著者のコレクションという戦争柄着物の写真を参照しながら読み進めましたが、とても興味深いものでした。「戦争柄」の前に「面白柄」の着物が誕生し、男性の羽裏(はうら)や、長襦袢(男女問わず)など、見えないところにさりげなく洒落た柄を装うのが流行ったとのこと。
男性向け面白柄着物の例として挙げられていたのが、泉鏡花の羽織の裏地に横山大観が描いた「梅と雀図模様羽裏」。まさかこの本に鏡花が出てくるとは、思いがけないことがあるものです。たぶんこれは昭和の作例で、慶應義塾大学附属図書館に鏡花夫人から寄贈された遺品の中から発見されたもので、横山大観の手であると鑑定済みだそうです。
着物の柄は、裏地でも仕立てる前に自分で選ぶもの、と思い込んでおり、仕立てた後に描いてもらうという発想がなく、大変驚きました。常識的には梅には鶯を配するものだが、ここでは雀が描かれている。それは雀好きであった鏡花のために描いたことは間違いないと著者は指摘します。けれども、どのような経緯でこの羽織が作られたのかはわかっておらず、鏡花と大観の交流の証拠も未発見ということです。この謎がいつか解き明かされることを期待したいですね。
メインテーマの「戦争柄着物」ですが、軍艦や国旗、兵士など戦争にまつわる様々なものが着物の柄に取り入れられていました。東郷平八郎が描かれた日露戦争の絵はがき柄、特定の新聞記事がそのまま染められた新聞柄、昭和期には「麦と兵隊」柄の男児の着物などが作られています。火野葦平の小説の表紙の絵が着物の柄になっていたことを初めて知りました。
乾さんは著書のなかで、戦争柄着物はプロパガンダか、との問いに、《プロパガンダの定義を政府および軍の意志による政治的宣伝とするなら、プロパガンダではない。》と答えています。けれど、戦争柄にはひとつも悲惨なものがなく、少年少女たちには、戦場の悲惨を覆い隠すものとしてある程度の影響力は持ったのだろう、と推察しています。
わたしたちが何となく身に着けているものや言動にも、振り返ってみれば、その特有の時代背景を表すものがあるかもしれないと感じました。そう、「不適切」なものが。

【能登半島地震関連】
◆今回の能登半島地震の震源域とみられる地域の地下で、依然としてマグニチュード1~4の地震が発生し、いくつもの断層でまだ活動が続いているようです。心配されるのは、佐渡沖にかけて伸びる断層で、今回地震を引き起こした断層と反対方向であるため、割れ残りがあるとみる専門家もいます。ここで急激な地殻変動が起きると、マグニチュード7クラスの大きな地震が発生し、新潟・富山・石川などの海岸に高さ3m以上の津波が押し寄せるキケンがあります。私は最近、この佐渡沖において、マグニチュード5クラスの地震が頻発するようになっていることが、とても気がかりです。あきらかに、能登半島地域における余震とマグニチュードの大きさが異なります。これが大きな地震の前震なのかどうか、今のところわかりませんが、注視していく必要がありそうです。
2月14日の志賀町北部を震源とする最大震度4の地震で、震度3だったはずの輪島市内で、キケン判定された家屋がさらに崩れ落ちていることから、今後、震度5程度の地震が能登地方を襲っただけでも、多くの家屋などがさらに倒壊し、ボランティアも含めて多くの人びとの生命を脅かすキケンがあります。
2月23日・24日の二日間、能登半島一帯で最大震度1以上を観測する地震が発生せず、「このまま収束?」と思ったが、また地震が発生しています。とくに2月27日には14:10と14:19の二回、輪島市鳳至(ふげし)町を震源に最大震度3の地震が連続して発生しています。マグニチュードは2.8と規模は小さいが、この場所では1月1日以来、たびたび地震が発生しているところ。群発地震とは言えないが、かなり頻度が高い。輪島川を境に、隆起した高さが違うようで、海底に溺れ谷があることからも、断層があるようで、しかも現在進行形。今後、マグニチュード5クラスの地震でも、直下型で、朝市通りを含む輪島旧市街地で建物などのさらなる倒壊が起こる危険性があります。注視が必要。

(『館長のつぶやき』より)
新着
連載 漱石こぼれ話』に『25.田端点描』を追加しました。
連載 漱石気分』が完結しました。
21世紀の木曜会』へのご参加、お待ちしてます。
長年の漱石研究の成果をもとに、何ものにも囚われない在野の視点から、漱石を描きます。今までの常識がひっくり返るような事実も浮かび上がってきます。順次、新しい章を追加、掲載していきます。お楽しみに。
漱石に関わる単発のテーマを、思いつくまま、気のむくままに、順次、掲載していきます。漱石気分に書き入れることができなかった「こぼれ話」です。お楽しみに。
漱石に関係あること、ないこと。館長が勝手気ままにつぶやきます。
漱石のもとを訪れる人が増え、漱石の負担を心配した弟子たちが、木曜日に限って漱石のもとに集まるという申し合わせをするようになりました。こうして生まれた木曜会には漱石も顔を出し、集まった人たちも忌憚のない意見を出し合いました。
「21世紀の木曜会」。連載に対する意見、感想をはじめ、漱石に関すること何でも、お互いに語り合い、意見交換、情報交換していきましょう。発言、お待ちしております。
北野豊著『漱石と歩く東京』『漱石と日本国憲法〜漱石からのメッセージ』の紹介と購入方法が書かれています。
漱石の作品を読みたい方、どうぞご利用ください。
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私のふるさと金沢が生んだ三文豪、泉鏡花・徳田秋聲・室生犀星に関するコーナーです。鏡花については漱石もかなり注目をしており、漱石は鏡花・秋聲に朝日新聞連載の便宜を図っています。犀星は漱石最後の、そしてもっとも才能ある門下生と言われる芥川龍之介と親しくなり、龍之介は漱石が果たせなかった金沢訪問を実現しています。そのような三文豪について、順次、私が書いた文章を掲載していきます。
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