自殺は、なるべくならしない方がいい

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「死を選ばなければいけない程、追い詰められている人間がいれば自殺は肯定するべきだ」なんて言葉をよく聞く。
だから、私も自分を殺すという行為を完全に否定することは出来ない。

だからと言って私は人に自殺教唆をする気もさらさらないし、今死を選ぼうとしている人には出来るだけ生きてもらいたいという話をしたい。

どうしようもない借金に見舞われたり、どうしようもない犯罪を犯してしまったり。逃げられない状態での、どうしようもないような家庭環境理。死んでしまいたいほど辛い心や身体の病気。

人の苦しみなんて一概には決められないから例に出してはキリがないが、とにかく誰も救うことができないし自らの救済もありえない。
たとえばそういう人が、死を選んでも私は責められない。

勘違いしないでほしいのは、それが親しい仲の者だったら私は簡単には立ち直れないほど悲しいということだ。
私の大切な人が自殺を考えているとしたら、それはもう全力で止める。私に相手の悩みが解決できなくても止める。
これはもう感情論だ、いなくなってほしくない。

しかし、やはり“なるべくなら”死なない方がいいのだ。

私は、どうしようも無く毎日が辛かった時「なるべくなら、死なない方がいい」という考えを持ちひたすら強い酒で精神をごまかしていた。(そのせいでアル中を患ったのだが… …)

結果、自殺という選択はしなかった。 私は、死んだ後は無。寝ている時に夢を見ていない状態がずっと続くと考えている。
つまり、死んで「ああ、楽になった」という気持ちになることは永遠にないと思っている。

だから、どうにかして自分をごまかして生き延びることが出来た。
私の悩みは、時間と時の運でじょじょに癒やされた。
本当に、死ぬしかないと思っていたのにね。
もちろん、全ての自殺志願者にこれが当てはまるわけではない。まどろっこしくて申し訳ないが、とにかく『なるべくなら』と私は言いたい。

先ほど親しい人の死は耐えられないなんて書いておいてなんだが、私は私が死んだら誰かが悲しむ……という考え方は本当は出来ない。
冷たくて勝手な人間なのかもしれない。

しかし辛い人生での、“死”は救済ではないと考えるのだ。

最初に述べたように、たとえば借金苦などで死を選ばなければ仕方ない人達もいるだろう。( 借金苦は死ぬしかないという意味ではない)
しかし、立ち直れば生きる選択が出来そうな場合は死なない方がいい。
個人の自殺に至るまでのバロメーターなんて分からない。
でも、せめて生き方が自分で選べるまではどうかもってほしいと願う。
選べる人は、もう少しごまかして欲しいとも思う。

自殺は、なるべくならしない方がいい。

生きてればいい事がある、なんて保証は出来ない。
しかし、「死ななくてもいいや」と思える日は必ずくる。

これは断言してもいい、耐えていたら必ずくる。

だから、自らの死を考えている人はもう少し耐えてほしい。
“死ななくてもいいや”と思える日は、必ずくるから。

真面目に生きなさい!

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「真面目に生きるのが怖いんだ……」

とても親しい人に、そう真からの弱音を吐いたことがある。
これはどういう事かというと、もう本当に言葉のまま。
とにかく私は、真面目に生きるのが怖いのだ。

そもそも“不真面目に生きる”というのは、どういうことだと思いますか?

他人の金をむしれる立場のものがそれで遊び呆け、ろくに働かない者。ニート。
酒、もしくは薬で自堕落に体を壊して生活する者。以前の私ですね。

この二つとは別に社会的な地位を持っていたとしても、破天荒なことばかりして周囲を呆れさすもの。そう、バカばかりやる人が真面目じゃないと定義されるのだろうか?

上記の例が“真面目に生きないこと”とされるのかは私には分からないけれど、実は私がこぼした弱音はそういった人間の生きざまにあるものではない。
少なくとも私が苦悩している真面目さとは、心情の置き方にあるのだ。

率直に言ってしまうと、私は「自分自身と向き合えない自分」に一番の人生においての不真面目さを感じる。

哲学的にぼかすつもりはないけれど、自分が一番怖いという話。

人を憎むのはしんどいけれど、何もかも許してしまうのは怖い。
悲しみが止まらないのは辛いけれど、どうしても涙が流せないのは嫌だ。

私は、心から笑うことも悲しむことも怒ることからさえ逃げる傾向があるのです。

自分の感情から逃げて、すっからかんに生きることほど弱虫で悪なものはないと思います。

私は私から逃げずに自分の感情を心から自身で承認できる、そんな真面目な生き方をしていきたいよ。

お母さん、お母さんが幸せで私は本当に良かったよ

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これは、いつかどこかにちゃんと書いて自分なりにまとめたいと思っていたこと。

私の母は、私が11歳の時に死んだ。

これが原因で私は精神を病んだのだが、まあそれは置いておく。とりあえず母が、死んだときの話。

母は、亡くなる前の一年くらいほとんど寝たきりになっていた。

病院で看てもらっても、結果は異常なし。

私も父も、結局何故母が死んだのか今でも分からないんだ。

腎不全?まさかのてんかん…、いやいいんだそれは。どうでも。

私はもちろん母が大好きだったし、寝たきりになったらあまり私の話を聞いてくれなくなってとても寂しかった。

大嫌いだった学校からすら、(帰って、寝てばかりのお母さんに会いたくないな……)と下校を嫌がるくらいに母は私の相手をしなくなった。

ただ、「元気になったら、ディズニーランドに一緒に行こうね」と母は布団に寝たままそう言っていた。

そして。来るべき時がきた。

母がうめき声をあげて、苦しみだした。泡を、吹いていた。

父の話によると、失禁もしていたらしい。

私も父も、訳が分からずとにかく近隣の友人を呼んだりして母を救おうとした。

しばらくして母は静かになった。私は、子供ながらに母の手首を触って脈を確かめた。

脈は、無かった。

でも、私は子供だからきっと脈のはかり方が間違っているのだろうとそう思った。

まもなく救急車がきて、私と父は冷たくなり始めた母の足をひたすら摩ってあたためようとしていた。

待合室で、母の友人一同と私と父は待った。

今でも忘れられない、救急隊員の人の『もう、なにをしても無駄だと思うんで……』という言葉。

母の友人達、父も泣いていた。

私は事態が理解出来ない。そして、思い出していた。

母が、調子を崩した時に父が言った。お母さん、死んじゃうかもしれないぞ?だから、寝ている時はそっとしておいてやれと。

私は、その話を寝たきりの母にそのまました。すると母は言ったのだ。

「バカね、お父さんもバカなことを言う。こんな幼いアナタを残して、お母さんが死ぬ訳ないじゃない」

母は、私に大変な大嘘をついた。

死んだのだから。

私は、泣き崩れる母の友人に言った。

「お母さんが死ぬわけないよ、私とディズニーランドに行く約束をしたんだから」

彼女は答えた。「そうね、みんなで夢を見ているのよ。これは、全部夢なの」

いや、こんなハッキリとした夢があるわけがない。
これは夢じゃない。大好きな母は死んだ。
大人でも、そんなあやふやな言葉で現実逃避をすることがあると初めて知った。

ああ。大人でもどうしようもないことって、あるんだなって。

――一通り葬儀などが終わってからしばらくして、私は母の私の育児日記を見つける。

ずいぶん私が大きくなるまで書いていたようだ。つい、最近と言ってもいいだろう。

最初のページには、こう記してあった。

『私は、元々子供を産んで育てられるような人間ではなかったの。お父さんに聞いてみて?でもね、アナタが生まれてアナタと出会って私は今とても幸せです』

そうか、それなら良かったよ。

私の知らない所で、アナタとアナタの猫が死ぬのは嫌だ

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私には十年ほど付き合った恋人がいる。

“いた”という表現が正しいのかもしれない、それでも私は新しく仲の良い異性を作る気はない。
ただし、完璧な腐れ縁でもう何度もくっついたり離れたりしている。

彼は、いわゆるナルシストで私に対して執拗なモラルハラスメントを行っていた。

どういう事をされたか、なんてつらつらと書いても私の心が癒えるわけではないので省く。

初めは怒ったり泣いたりしていたが、だんだんと慣れて大抵の事は笑顔で流せるようになった。
私は精神疾患者だし、もちろん私にも悪いところはたくさんあっただろう。何よりそう思いたい。
しかし、私がいくら変わろうと努力しようとも彼の私への態度はどんどん悪化していった。

彼に最後に会ったのは、二年前の私の誕生日だった。

私たちはもうほぼ壊れた関係であったが、私に誕生日プレゼントを持って家まできたのだという。

プレゼントは、脱法ハーブだったよ。

私は精一杯の笑顔をつくったが、とても醜くひきつっていたと思う。
近所の公園で、煙草といっしょに筒じょうのそれを吸った。

とても気分が悪くなり、彼の「こいつ、ラリってやがる」という楽しそうな声が今までのどんな罵倒よりも私の心をバリバリと裂いた気がした。
その後はすぐに帰り、布団にくるまった。裂けた心から、ダラダラと血が流れて水溜まりを作っていた。

――『一緒にご飯を食べたり、散歩をしたり飼い猫をなでたりするとどうして家族ということになるんです?』

精神科の主治医は、不思議そうに聞き返してきた。

幼少期に母を亡くし、仕事人間の父に育てられた私にとっての彼との半同棲生活。
それには、失われた“家族”を取り戻す意味があったのだと思う。

恋人に対する依存。悪い共依存。

でも、私はそれでもいいと思っている。
会わなくても、私の裂けた心の部分に貼ってある絆創膏には彼の名前がしっかりと書いてあるしなにより悔しいじゃないか。

これだけ傷つけられ、そして救われた相手をキレイに心から消せるものか。
世界一憎いし、愛しい相手。

もう会う気はない、傷つけられたくないから。
そしてアナタのことは考えない、思い出して辛くなりたくないから。

だけど、なるべく私の知らないところで死なないでくれ。年をとらないで。飼い猫も、病気なんてしないで。

とにかく私に勝手に、どうにかなるな。

こういう依存の仕方、もうしばらくさせてくれ。

にーには本当に人魚に会った

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私には、上に年が離れた従兄弟がたくさんいる。

その中でも、幼少期に一番私を可愛がって遊んでくれたにーにの話。

彼は、人魚に会ったことがある。
そしてどこまでかは知らないが、自分と私の未来をその時に見せてもらった。
そう私が幼い頃に、にーにはこっそり教えてくれたのだ。

私がゲーマーになったのは、このにーにの影響であることは間違いない。
彼は学生時代は朝から晩まで、いわゆるニートになったら一日中。私が遊びに行った時は私が楽しめるソフトを選んでゲームをやっていた。

彼はパソコンを持っていない。
新しいビデオゲームが出たら、本体だろうがソフトだろうが惜しげもなく買っていた。
彼の父親である叔父さんも酒に溺れ働くのを止めてしまったが、アパートの大家をやっていた私のお祖母ちゃんの収入を食い潰していたのだと思う。

にーには誰にでも腰が低くて、特に私には優しすぎるくらい何をしても笑って許してくれるようなお兄さんだった。

彼には腹違いの妹がいる。
一度会ったことがあるが、なんだか子供心に意地の悪い子だな……と感じた。

私が彼が初めて怒りを見せたのを見たのは、父親の愛人の腹から出たその子に対してだった。

馴れ馴れしくしてくるのが嫌だったらしく、「僕の妹は君じゃなくてこの子だ」と私を指差した。

彼の方の母親は、とっくに叔父さんとは別れて今はどこかで新しい家庭を持っているそうだ。

はっきり言って、最悪の父親。
母親にも捨てられ、孤独のなか彼の唯一の心の拠り所が『テレビゲーム』なのだと思う。

叔父さんがついに酒に飲まれて亡くなった日も、駆けつけた私に向かって「新しいゲーム買ったんですけど、やります?」と少し笑って言った。

そんな彼もまだ親子三人で暮らせていて、家族で海に行ったことがあった。
そこで、人魚に会ったそうなのだ。ちなみに、私はまだ生まれていない。
ビーチから少し離れた人気のない場所で、彼は不思議な体験をした。

最近は、あまりにーにとは会っていない。あまり会う気がしないし向こうも多分そうだと思う。

それでもにーにが今でも忘れられないくらい、あんな真面目な顔で嘘をつくなんてことは“人魚に未来を見せてもらった”ということ以上に信じられないことなんだ。

テトリス

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「友人は選べ」という体の説教を、人によくされる。

私は私の事をあまりロクな人間だと思っていないし、なるべく自分から友人を選り好みすることはしたくないと思っている。二十歳くらいに、自分がロクでもねぇと気づいた時に強くそう感じた。

それにどんな人間だろうが、色んな人と知り合ってみたい。

相手がどんな人格だって、誠意を持って接すれば必ず分かり合えるはず。
しかし一度会ったらだいたい友達……なんていうのは、私が願うだけの幻想だという事も理解している。

その女の子とは、年代を問わない某サークルでその日初めて出会った。
恐らく自分よりはずいぶん年下で、それでも派手な毛皮と思しきコートを着てとても濃い化粧をしていたのを覚えている。

その時、私は『あのアーティストではこの曲が一番好きだ』というような話をしていたが周りにセンスが無いよと笑われていた。

そして「アタシもそれが一番好き」と発言した、このあと悪びれもなく私の財布を盗んだその子と友人になった。

とりあえず一円玉だけきれいに残した私の財布は、翌日に女子トイレの汚物入れから見つかる。
そしてその時は気付かなかったけれど、後日うちに覚えのない携帯会社からの請求が二台分くる。

どうやら保険証を抜き取り、私の名義で彼氏と自分との電話を作っていたようだ。
その後、保険証は道路だかに捨てたらしい。

未成年の彼女は、全てが明らかになってご両親との示談の相談中であってもしれっと笑って私の前に現れていた。
私も、えへらと笑って彼女の“友達”を続けた。

かけてる部分とでっぱってる部分がハマって、きれいに消滅したなと客観的に感じた。
「それ、友達じゃないから」で片付ける出来事であることは確かでも、不思議だな……という感想を持った。

だってあまりにも手口が浅はかすぎて、全く怒る気になれないんだもの。

彼女は、元々バレたってバレなくたってニコニコ笑っているつもりだっただろうし私もこの事件が発覚した時は終始ニヤニヤしていた。

私達二人は、別の部分があったりなかったりした心を病んだ汚ないブロック塀だったんだ。

窃盗は同然よくない事ですよ、絶対にだめ。

これ、恐らく相当気持ちの悪い話です。
それでも分かり合えなくたって、私は友情は成立するものだと思っています。ほんと、こっそりと。

それでも、まだ死にたいと思うことはある

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“ものごころ”って、いつつくものだと思う?

だいたい、3歳~6歳なんて言われるね。
しかし私は、意外と25とかそこらではないかと思うんだ。

……いや、これは私に限った話かもしれない。

メンタルヘルスの病との付き合いに疲れはて、自堕落に酒ばかり飲んで生活していたことがある。
私は自殺志願者だったし、このまま緩やかに自分を殺していければハッピーだ……なんて思っていた。

しかし、少し飲むのを止めた時にそれは起こった。

そう、お察しの禁断症状。
手がブルブルと震え、勝手に上がったり下がったり。意識は今まで体験したことがないくらいにもうろう。
完全にアルコール中毒になっていた。

“生など苦痛でしかない、何故生まれてきたのか”

いつもそんな事ばかりアンニュイに考えていた私の頭の中は、その時『死にたくないよ~!!お母さ~ん!』という声でいっぱいになった。

酒は程ほどにしないと、痛い目を見る。

いい年をして、ようやくそう気づいたのだ。
そして、同時に自分を守れるのも最も元気付けてやれるのも自分だけだと知った。

これが私の、“ものごころ”
あまりにも遅い、ものごころ。

幸い、気を散らすために好きでもない濃度の高い焼酎をがぶ飲みしていた私。苦もなくすぐに飲酒を中止し、みるみる内にアルコールは抜けた。

たしなむ程度、が理解できるくらいには大人になれました。

滝の下で水を浴びねば、人生がかわいそう

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最近、気づいたこと。
ひどく当たり前な生き方の話。

命の重さは平等ではない、なかった。違った。

人は誰でも尊い命。どこの誰だって、命は同じくらい重くて大事なもの。
だいたい、こう教わるよね。自分でもそうだと思うはず。普通は。

それは、まっかな嘘だった。

死刑制度がどうこうという話でも、またホモ・サピエンス以外の生物の話でもない。
……あってたっけこの学名?

無条件に愛される年齢を過ぎそれでも周りから守られる命の持ち主は、必ずしも何かをきちんと積み上げてきた人物なんだ。

生まれながらにして、命の価値を高める修行がスタートしてる。
何か宗教チックだけど、実際そうなんだよね。

よっぽど不幸な星の元に生まれた訳じゃなければ、ちゃんと自ら滝の下で水を浴びなきゃいつか苦労するってことに早く気付くべきなんだよ。

私みたいにどうしようもない、だらしない性格だととても気付きにくい難題。
きっと、ヒントはたくさんあるのに。
誰かが代わりに冷たくて苦しい想いをすれば、幸せになれると頑に思っているから。

人が、何故頑張らなければならなないか。
何故、勉強をしなければならない?
何故、働かなくてはならない?

何かを、真面目に生きて成し遂げるために行動しなければ後ろ指を指される訳。

どうして、人に優しく清く生きなくてはいけないのか……。

それは、自分の命を大切なものにするため。
自分で自分を愛そう、そして魂を愛してもらえる人になろう。

自分の人生を本気で見つめないまま終わってしまうのは、それは計り知れないほどに残念な事なのではないだろうか。

“自分は死んでいないだけで生きていない”

そんな時「滝の下で水を浴びな」と、心から言ってくれる人は今いますか?

幼い頃は、言われるがままに頑張っていたはずです。

時間はまだあるので浴びてみましょう、もう一人でできるはずです。
そして、自分を含めた沢山の人に愛を。

誰かに「価値がない」なんて気持ちを投げないでくれ。
誰でも、どんな魂だって大きくて素晴らしいもの。

それでもあなたの命の価値は他と平等ではない、だから愛してもらえるように頑張ろう。

頭悪いのに難しい事考えたら書く空間。自分用に考えてるから、偉そうでごめんね。

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