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● ジェイムス・エルロイ

「ブラック・ダリア」(吉野恵美子訳/文藝春秋社)

『私は生前の彼女を知らない。』という書き出しの一行には思わず惹きつけられた。エルロイは意表をつく。

「私は生前の彼女を知らない。私にとって彼女は、その死によって思わぬ方向に駆り立てられた人々の、その足跡に存在する女だ。過去をさかのぼり、ひたすら事実を追い求めて再現した彼女の横顔は、哀れな小娘にして娼婦、せいぜいよく言っても“落ちこぼれ”――私にもそのまま当てはまりそうなレッテルだが。出来れば彼女を無名のまま終わらせてやりたかった。だが<ダリア>以前にまずパートナーシップがあり、さらにその前には大戦と、市警本部セントラル署における軍規と演習があった。」
と。

第一章ではそのパートナーシップが、二章では思わぬ方向に駆り立てられた人々が、次の章で恋人と愛人が、終章ではブラック・ダリア殺害の根源に向かうすさまじい衝動が語られる。しばらくは警察にありがちな暴虐や自白狂の描写が置物のように置かれていて果たしてどうなるのかととまどっていると、なかばを過ぎたあたりからすべての描写が精彩を放って輝き、一気に読み終えるまでとまらない。そして、読み終えて何日もの間、深い、満ち足りたような驚きに震撼させられた。

ここには魂に響くナイーブな語りがある。下積みの職域を通して世界を知り、理不尽な差別を通して知性を獲得し、捜査という気の遠くなる労働を通して意固地に欺瞞を暴き、血まみれの尊厳を奪いとったひとりの男のシンプルで美しい物語がある。

ひとを愛するということはそういうことだったのか。すべてを失ってもなお世界を向うにまわして戦い、魂を傾けて根こそぎ語りつくすということだったのか。

作者・エルロイは、待ちわびる妻ケイのもとに戻っていく主人公に次のように独白させて擱筆する。
「私はバッジのない刑事であること、1949年の一月の間、私には明敏さと勇気と、犠牲を払う意志があったことをケイに知ってもらわなければならない。そして、私たちにもう一度やり直す機会を与えてくれたのは哀れな娼婦にして落ちこぼれ、他ならぬブラック・ダリアだったということを、ケイに知ってもらわなくてはならな い。」

あとがきによると、作者・エルロイは十歳のとき母と死別した。セミプロの娼婦をしていた母は、藪の中で他殺死体となって発見されたという。冒頭に、彼は献辞を記す。
『母へ』
と。
『二十九年後のいま、この血塗られた書を告別の辞として捧げる』
と。

(文/田中洌)

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